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朝鮮時代中期の大儒学者、退渓・李晃の宗宅で令孫・東巌が寒棲菴(退渓の書斎)の南側に建てた家屋です。当時より代を継いで暮らしてきましたが、1715年に秋月寒水亭を建築し構えを新たにしました。10代後の孫である古渓・李彙寧の代に旧宅の東南の向かいに新たに家を構え移り住みましたが、1907年、日本官軍の放火により両宗宅は焼失、現在の家屋は1926年∼1929年に13代目の孫である霞亭公・李忠鎬がかかる地に住んでいた任氏の宗宅を購入し移建したもので、秋月寒水亭も当初同様に再建されました。